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2011年8月

2011年8月 7日 (日)

河和田アートキャンプ・林業とアート

河和田アートキャンプ・林業とアート

ラポーゼかわだの裏山に設置された「河和田アートキャンプ2011」の林業とアートチームのザ・カーテン。

グリーンカーテンとは、10以上の植物が無ければ駄目との薀蓄を、地元チームの白崎さんから受ける。どの植物も種から白崎さんが育てられたもの。

この地も、これまでのクマ、いのししに加え、人家まで出没する猿の被害に非常に困られていることも伺う。人間への危害があるかも・・、なんとかできないものか・・。

鯖江継体の会、桃源清水を楽しむ(水遊具作り、そうめん流し)

8月6日(土)、「ふくいのおいしい水」に認定されている鯖江市上河内町の桃源清水で、子どもたちが地域の大人たちや河和田アートキャンプの学生たちに教わって水鉄砲や水車などを作って遊んだ。

森林浴もできる桃源清水の冷たい水に大喜びで、友達と遊ぶ子どもたち

そうめん流しの準備をする、鯖江継体の会のメンバー

涼風の中、竹筒を流れるそうめんに舌鼓。薬味は地元産物のみょうが、ねぎ、しそ、しょうがなど、桑茶や紫蘇ジュースのサービスも参加者に喜ばれた。

京都精華大学生による「水中創作ダンス」も披露された。鯖江市の環境課、文化課の職員が参加された「お清水を楽しむ集い」の間中、桃源清水フアンがひきりなしに水汲みに訪れられているのも印象に残った。また「近松の里」からのお客様もおいで頂き、地元としてこの地域の宝を維持管理し、今後更なる魅力発信が出来るよう努めたいものです。

河和田ふれっしゅ市・朝市で復興支援野菜

河和田ふれっしゅ市・朝市で復興支援野菜

うるしの里会館軒下で、毎週土曜日朝9時から開いている地元の有機野菜の朝市。 8月6日、河和田アートキャンプの食育とアートの学生も加わって、東日本大震災復興支援野菜の販売も行った。その日に開催されたうるしの里河和田まつりにも出店して、祭りイベントの参加者にも協力していただいた。

2011年8月 6日 (土)

視察でお世話になった名取市議会に、お見舞いに

8月2日(火)、昨年5月、鯖江市志鯖同友会で、教育委員会の生涯学習課と生活経済部農政課が横断して取り組んでおられる子どもたちの農業体験を先進地視察で研修に寄せていただいた名取市。 今回会派を離れ、市民創世会に所属したが、当時政調会長でもあったのでお世話になったお礼もこめ、お見舞いに議会を尋ねさせてもらった。

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議長、副議長さんは宮城県の議長会が国に要請行動で上京される日であったために、議会事務局の千葉局長から震災の被害状況と現状の説明をしていただく。

副議長の本郷氏から仮設住宅が新たに50所帯分出来たこともお聞きしていたので、抗菌作用のある漆塗りのお椀を山田さんから預かっていき、お届けする。山田さんは、このような形で支援が出来ることは非常に嬉しいとおっしゃれている。平成16年の福井豪雨で全国のみなさんにお世話になった鯖江市河和田地区、そのときのお返しで、越前漆器の産地からも応援している気持ちを伝えることが出来た。

名取市議会にお見舞いに伺う

市役所ロビーには、災害救助のための電話がまだ置かれていた。

亡くなられた方、まだ身元が分かっておられない方々の名簿が一覧になって張り出されている。名取市の亡くなられた方860人、行方不明者100名。

安否を尋ねて張り出しに、目を通されている人々があとを立たない。

名取市で、人口集中地区で被害が一番大きかった名取市閖上地区。http://blog.livedoor.jp/coolsportsphoto/

名取市の復興計画はこれから、市長も議会も政治判断が迫られるところに来ている、との説明を受け、現地も視察。

2011年8月 2日 (火)

東日本大震災から5ヶ月、「森は海の恋人」畠山重篤氏さんを訪問

東日本大震災被災地の5ヶ月たった今

道もない、水道も電気も2ヶ月間ストップ電話は1ヶ月前に通じるようになった気仙沼の畠山重篤氏(牡蠣・ホタテ養殖業・鯖江市の環境フェアで講演をしていただいた。河和田の山の森づくりの指導にも来ていただいたことがある)周辺。

http://www.mori-umi.org/index.html

木に引っかかっている浮き(ガラス球)、海辺から崖の上この高さ(30メートル以上)まで津波の海水は来て、引き返していった。

水面下(30メートル以上)になり、この電柱らはすべて新しく付け替えられた(オール電化で大変だったそう。急遽ストーブをだして、マキで生活をされた畠山家)。折れた電柱は瓦礫の中に。

この集落は、入り江を埋め立てて家が15軒あったそう・・、すべて津波にやられてしまった(影も形もない)。瓦礫が片付けられ、周辺に山とまとめられている。住んでおられたであろう、門柱が立っていて表札に心痛む。

道路脇の崖には、気高く白いゆりが見事に花を咲かせている。

気仙沼の中心地、壊滅したまちの中に大型船が乗り上げたままの状態。

大きな犠牲を生んだ自然災害の怖さを記憶にとどめるためにモニュメントとして残そうか、撤去するか、まだ方針が決められていない。

夕方7時過ぎ、灯りの点いている住まいがポツン、とあった。なにもかも大変。どういうお気持ちで暮らしておられるのであろうか・・・。

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