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2015年7月31日 (金)

若き頃、生きる支えになっていた鶴見祐輔の『母』の力

Img105結婚して出会った本『母』、25歳のときである。そのあとしばらくして、『子』も読ませてもらった。当時日記をつけていたから、何かしたためているかもしれない・・・。

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この1冊、女性として、お母さんになることが出来た。
『母』は、この前亡くなられた鶴見俊輔氏のお父上・鶴見祐輔氏が、1929年にはじめての小説を発表され、文庫本になって1955年に文庫初版本が発行されている。
文庫版序で述べられている一部を掲載させていただく。
「~ 日本の発達、乃至は日本民族の進歩は、母といふ座にすはった數多くの女性の犠牲によって成し遂げられたのだと思ってゐる。ゆゑに多くの日本人は自分の母に對する激しい追慕と哀惜と感謝の情を持ってゐると思ってゐる。「日本の母」は正しく描かなければならない。さういふ感情を私は少年のころから漠然と抱いてゐた。それは薄命な私の母に對する哀しい愛情と思慕として根強く私の心に巣喰つてゐた。これは私に取っては、ほとんど宗教のやうな強い感情であった。...
 この物語自身は私の母には何の関係もなく、従って私自身の過去にも関係はない。しかし私はこの物語を記しながら、度々母を思って泣いた。ただそれだけである。この真情だけがこの作品の生命なのである。恐らくは多くの読者の胸を打つたのは、私のこの真情であつたらふと思ふ。
 戦後の日本は、戦前の日本とは全く變つた國である。昭和30年の日本は、昭和2年の日本とは、甚しく変つてゐる。しかし昭和30年の日本を支へてゐる力も、依然として母の座にすはつてゐる日本女性の愛情と真実であるにちがひないと私は思つてゐる。日本を再び興す力もこのところから生まれるに違ひないと私は思つてゐる。
 さう思つて私は、この1巻の書を、再び世に送るのである。」
   昭和30年1月31日      鶴見祐輔   」
八木重吉の詩集と共に、私の大切な宝です。
ちなみに、鶴見祐輔氏の妻は、愛子というお名前です。

女性の平均寿命を、86,83歳と、厚生労働省が発表、まだまだ、頑張らせていただけるかもしれない。

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