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2010年8月 6日 (金)

飯田市人形フェスティバルに視察研修

飯田市人形フェスティバルに視察研修

黒田人形浄瑠璃保存会の会長さんから、300年途切れることなく続く伝統芸能を継承されている苦労話、人形の保管蔵などをみせていただく。

飯田市人形フェスティバルに視察研修

黒田人形座は、下黒田諏訪神社の春祭りで奉納上演される。 国指定重要有形民俗文化財の指定を受けている。今も残っている芝居小屋。

飯田市人形フェスティバルに視察研修

すご~い文化財に指定された人形のお顔、100体はあるそうな・・。

飯田市人形フェスティバルに視察研修

飯田市人形フェスティバルに視察研修

8月6日(金)、長野県飯田市で開催されている国内最大級の人形イベント「いいだ人形フェスタ」に行ってきました 。

今年の春、狂言「塗師」を「おばばの会」が演じ始めていることから、「近松座」さんとリニューアルになったまなべの館でコラボで演じさせてもらえることが決まって、このことから、人形浄瑠璃、人形のことを勉強してみよう、とインターネットを開いていたところ、飯田市の「いいだ人形フェスタ」をみつけた。近松座の座長・大橋さんと、文化課の浮山さんに「飯田に行ってみない」と、呼びかけて、実現。

ウィキベディアの百科事典によると、飯田は、京と江戸の真ん中に位置することから、西と東の両様の文化が流れ込む山の都だった。この地域に、人形浄瑠璃が伝わったのは江戸時代半ば。京都大阪を中心とする上方で隆盛を極めていた人形浄瑠璃は当時、歌舞伎の台頭により勢いを失いつつあった。結果、浄瑠璃の人形遣い達は活躍の舞台を日本各地に求め、諸国に旅立った。その頃、淡路で活躍していた人形遣いが、上方から飯田市の黒田地区に流れてきた。同地区で人形浄瑠璃は熱狂的に受け入れられ、村人は浄瑠璃の舞台や人形の為に田畑さえ売り払うまでだった。天保の改革による上演禁止、 明治以降は警察の監視など、苦難の時代が続いたものの、300年のあいだ黒田人形、今田人形の人形芝居を含め、四座がその歴史を今に伝えている。 そんな伝統人形浄瑠璃や伝統芸能の宝庫と呼ばれる飯田市で国際児童年の1979年、全国の人形劇人が集まって「人形劇カーニバル飯田」が始まった。 以後1998年に20回を数えたが、20回目のカーニバルを持って飯田市主催での人形劇イベントは終了することとなった。この時、市民にこれまでのカーニバルの意義を再確認すると同時に、これからもこのような祭典を続けていきたいという動きが起こり、人形劇のまつり「いいだ人形劇フェスタ」の第1回が開催されるに至った、と。

「人も人形も輝く夏・いいだの人形劇フェスタ」は、8月6日~8日までの3日間、400を越える公演が予定され、2,000人を超えるボランティア(議員も5人かかわっているとか、会場整理をこなしておられた議運の井坪委員長さんにお会いした)で支えられている。

鯖江から研修に出向いた9人は、庄内出羽人形芝居(飯田人形劇より古い)を、黒田人形浄瑠璃伝承館で観せていただいた。たくさんの親子連れが舞台と一体になって、拍手喝采、楽しませてもらった。

とてもとても鯖江市の比ではない歴史とスケールの伝統・芸能文化であることを知る。

今回の研修で、「西の近松人形浄瑠璃」、そして、今始まったばかりの「東の狂言塗師」が、果たしてどこまで伝統・芸能文化でまちづくりに貢献出来るのか、果てしない冒険・未知数であるからゆえに、歩いた後に、歴史が作られることを夢見てがんばってみよう・・、と思う。

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