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2011年4月 2日 (土)

南三陸町長清水、小原さんの活躍

三月15日、夜8時ころ南三陸町の小原さん(カメラマン)と言う若い青年から、出先で会議をしていたところ、マナーモードにしていた携帯電話に電話が入った。

南三陸町の長清水という町が孤立して80人が岩場の民宿に避難しているが、2次災害が心配なので、みんなまとまって避難をしたい。ついては、近隣では避難場所の確保はもう望めないので、福井県鯖江市の木村のところに頼って「助けてほしい」と言う内容。

さあそれから忙しかった。地震後すでに12日の日に、「木村さん避難家族、受けいれるるよ。友達も同じように考えている人が5組ほどあるよ」と、すでにおっしゃられていた方があったので、役所にそういう受け入れ対応の窓口をと、要望しておいた。 今回全く知らない方からの電話だけど、だいこん舎さんの南さんの紹介で、木村に連絡してきているということなので、地元の住民グループのネットワーク(80人まとまって受け入れてあげたいと思い)と役所の中を、相談して歩き、受け皿つくりに走り回った。

この間、4~5回ほどの携帯電話、メール等のやり取りを小原さんとしていたが、南三陸町として集団避難場所の確立が整い、そのところで60人が避難を決められたので、木村のとこまでは避難していかなくてもよくなったと、連絡を3月31日、もらった。そのうち寝袋持って小原さんとの携帯電話だけでなく、現地まで行かなければならないかなとも考えていたが・・ 。小原さんとのやり取りで、まだ受け入れようというお気持ちには変わりないかとの言葉もあったので、「もちろんお顔も知らない小原さんだけれど、避難家族を受け入れさせていただくよと思っておられる方の気持ちは変わりないです。いつでもそのときがくればどうぞ、お待ちしています。体気をつけてがんばってください」と、言葉を交わした。

その小原さんのレポートを、インターネット上で見つけた。以下そのレポート

南三陸町長清水(ながしず)。南三陸町の中心部志津川から通常であれば30分程度南に車を走らせると見えてくる人口100人程度の小さな集落だ。岩の割れ目から朝日を拝む事の出来る観光名所「神割崎」が目と鼻の先にある。
内海の為、普段の波はおだやかだが、今回の津波で約35軒あった家屋のうち2軒以外は人が住めない状況にまで破壊された。・・・
KAZUMA OBARA

昨日から2日間、親友の地元である南三陸町志津川を取材した。
港から集落まで100メートルもないこの地域は2軒の家屋を残して他は全て流された。
この日、捜索の為に自衛隊が入り、1名の行方不明者が遺体となって発見された。
生まれ故郷を見た親友は泣き崩れた

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