「愛子」という名前
賀川豊彦(かがわ・とよひこ)
【1888年~1960年】大正・昭和期のキリスト教社会運動家、社会改良家。戦前日本の労働運動、農民運動、無産政党運動、生活協同組合運動において、重要な役割を担った人物。貴族院議員を務め、日本社会党の結成にも参画した。
名言・語録11件
「世界に平和を」
「伝道はいつでも命がけだ」
「日本の農民よ、団結せよ」
「僕もウェスラーのように、貧しい人たちのところに行って、伝道したい」
注釈:ジョン・ウェスラーは、イギリスのロンドンで、特に貧しい人達の住むスラムへ入って伝道した宗教家である
「アメリカの労働者のように、働く者が、労働組合をつくり正当な賃金を受けられるような社会をつくることだ。日本にも働くものが団結する労働組合をつくって、不公平な社会の仕組みを正すことだ」
注釈:ニューヨークの大通りで、大デモ隊に遭遇。このことに大きなチョックを受けた賀川は、日本に帰国したら労働組合をつくろうと決意する
「人が人を殺し合う戦争は、どんな理由があろうと反対だ。また、僕にはアメリカやヨーロッパに大勢知人がいるからといって、欧米の味方ではない。私は戦争そのものに反対する平和主義者だ」
「世界の平和がなければ、本当の人の幸せは望めない」
「僕の仕事は決して、僕がやっているんじゃない。僕という人間を使って、神さまがなさっているのだ。すべて、神のはたらきなのだ」
「神は愛である。私は倒れるまでこれを主張するつもりです。みなさん、神は愛です」
「人間は反抗や暴力によっては救われえない。暴力は永久に合理化されえないものである」
「愛のみが人間に進むべき道をあたえるのであって、正しい社会秩序を創造することができるのである。われわれは愛を、愛のみを信頼しよう。力を土台とする解放は、本当の解放ではない」
【出典一覧】
『伝道につくした人々』志村武
『歩もう ともに手をつないで』神戸淳吉
【感想・論評・補足】
賀川豊彦は世界の平和運動史に、キリスト教会史に、労働運動史に、農民運動史に、社会福祉(社会事業)史にさらには協同組合史に名を残した人物であり、アフリカのシュバイツァー、インドのガンジーの聖人と並び、世界の3大聖人と呼ばれることもある。日本よりも海外の方が有名ではなかろうか
福井県民生活協同組合非常勤理事、非常勤監事を受け、組合員で出していた機関紙「がんばらにゃ」に当時携わり、賀川豊彦氏の生き方考え方に影響を頂けた「愛子」。いまがある。
コメント